運動スキルを習得できる環境を与えること それは・・・
2016年10月12日 [Default]
運動スキルやコツを指導するためのポイント
基本としている指導のポイントは以下の3点です。この3点についてそれぞれ詳しく解説します。
• 教え込まない
• はみ出す
• 完成させない
教え込まない
まず、「教え込まない」こととは教えるのではなく感じ取らせることが肝要です。とかく指導者は教えてできるようにしてやりたい、あるいは指導者の理想形などに子どもを当てはめようとします。
しかし、それでは子どもが答えを見出す前に答えを与えることになり、答えを模索する段階で出会うさまざまな体験や気づきを指導者が奪ってしまうことや、指導の強制が子どもをロボット化することに繋がります。
教える場合は、指示をするのではなく、考えさせ意見を述べさせます。あるいは「どんな感じがした?」と聞くようにします。感覚に基づく指導は非科学的だと否定する人もいますが、感覚で運動を捉えることができないとコツの習得は困難です。
教えてしまえば創造性がなくなり、聞けば教えてくれる指示待ち人間を生み出します。
はみ出す
次に「はみ出す」とは逸脱するところにこそ、未知の体験があるということです。
運動スキルは与えられた運動ができるようになることではありません。それは前回例に出しましたスポーツ系幼稚園などの事例が示しています。
子どもは与えられことをやり続けると興味が失われ、刺激が減少します。人間の発達は刺激と刺激への適応によるものです。
親が目を離すと危ないことやとんでもない事をしようとするのは刺激を求めての行動です。しかし、我々大人は、お行儀がよくない、怪我をすると言って子どもの動き、要するに興味と刺激を制します。
はみ出すことは未知の体験にとってたいへん重要です。はみ出すところに運動スキルの体験があるのです。
したがって練習を事前に決めることや、デザインすることには意味がないのです。マイネル博士も環界との活発な交流が必要だと述べています。
デザインされたものや決められたことからはみ出して何かをしようとする時、思いがけない体験や運動課題が子どもに立ちはだかります。それを体感し、乗り越えるために自身の全知全能を使って克服する過程に運動スキルの習得があります。
完成させない
最後が「完成させない」です。運動スキルの習得は、運動スキルの習得や完成が目的ではありません。運動体験による感覚運動を積むことです。
したがって、そこには完成形がありません。
跳び箱を何段、きれいに跳べるようになる……
これは運動スキルが目的化しています。これでは跳び箱運動のトレーニングをしたことになってしまいます。
運動スキルは運動体験で感覚を磨くことですから、その過程は千差万別、そして個別的になります。さまざまな運動体験を積んだ結果として跳び箱が跳べるようになることが運動スキルのトレーニングです。さらに完成させないということは新たな刺激を間断なく与えることです。刺激が発達を促すのです。
ある運動(刺激)ができそうになったら、その運動や体験を止めて次の体験や刺激に移ります。刺激慣れは適応を鈍くします。常に新しく、新鮮な刺激にさらされることが重要です。
子どの集中は15分ほどが限界と言われており、子ども向けアニメの多くが10分ほどであるのはそのためと言われています。このように目まぐるしく変化する体験と刺激が必要なのです。
子どもの指導において最も重要なこと
成果を求めない
とかく親や指導者は成果を気にします。特にスクールなどに預けている保護者は自分の子どもがどれだけ成長したか、あるいは習熟度が上がったかを気にします。私どもの教室でも退会理由のひとつに「成果が見えなかった」や、ひどいものでは「コスパが合わない」などもあります。子どもの成長がまるで経済投資のように捉えられています……。
指導者は親の目を気にして、またチーム運営やスクールなどの経営を考え、何とか目に見える成果を出そうとやっきになります。そうなるとスポーツ系幼稚園のような教えられた運動はできるけど、教えられていないことはできないということにつながります。
また、子どもは成果を出すために運動をしているわけではありません。興味に従って刺激を求めて運動をするのです。言い換えると本能に従っているだけです、そこに成果はありません。
特定の年齢にこだわらない
そして次に習得最適期です。これは誕生した直後から始まり第二次性徴が始まるころ(思春期前ぐらい)までと考えられます。【スポーツ指導の常識「ゴールデンエイジ理論」を疑え】の中でも触れていますが特定の年齢が最適期ではありません。
赤ちゃんはお母さんのお腹から出てきた瞬間から重力との格闘を始めます。重力に抗うようにして自分の能力を向上させていきます。正に環界との活発な交流の中で運動を発達させていくのです。確かに運動学習、特に運動スキル習得の最適期は小学校年代であることは否定しません。しかし、中学生ぐらいでも可能であると考えています。
中学生ともなるとさまざまな経験則があるため直観的な運動学習に加えてデザインした方法論やヒントを与えることである程度習得できると思います。また、高校生であっても早熟傾向でない者や力任せの運動をしない者であれば習得可能です。
実際、私が担当するスクールやかつて競技トレーニングを指導した中高生選手でも身体操作性を向上させるフィジカルトレーニングによって運動スキルが高まった事例があります。ただし、個別性はありますが習得に費やす時間と習塾度合いは小学校年代との比較では効率性には劣ることがあります。
運動スキルを習得する機会を大人が奪っている
運動スキルの習得は、特別な環境、道具や方法などは必要ありません。運動スキルは生活や遊びの中で習得すべきものです。
しかし、残念ながら近年では公園など公共施設でのボール遊び禁止、勝利至上主義のジュニアユーススポーツ、偏った運動ばかり指導するスポーツスクール、スポーツ科学理論の間違った理解、また保護者による過保護や行き過ぎた期待感など、運動スキルを習得する機会が失われる環境や状況ばかりが子ども達の周りに溢れかえっています。
運動スキルを備えていなくとも社会生活に困ることはないでしょう。しかし、身体活動である運動は人間の本能的営みです。スポーツ界では「心技体」という言葉がしばしば言われます。これは精神と技(スキル)と身体は一体化しており、それぞれが欠けることなく充実することがスポーツや技の上達、人間性や社会性の形成には必要であるというような意味です。
保護者の方々はお子さんの健全な心身の成長を望むのであれば、運動スキル習得について案じるのではなく運動スキルを習得できる環境を与えることを考えてください。
基本としている指導のポイントは以下の3点です。この3点についてそれぞれ詳しく解説します。
• 教え込まない
• はみ出す
• 完成させない
教え込まない
まず、「教え込まない」こととは教えるのではなく感じ取らせることが肝要です。とかく指導者は教えてできるようにしてやりたい、あるいは指導者の理想形などに子どもを当てはめようとします。
しかし、それでは子どもが答えを見出す前に答えを与えることになり、答えを模索する段階で出会うさまざまな体験や気づきを指導者が奪ってしまうことや、指導の強制が子どもをロボット化することに繋がります。
教える場合は、指示をするのではなく、考えさせ意見を述べさせます。あるいは「どんな感じがした?」と聞くようにします。感覚に基づく指導は非科学的だと否定する人もいますが、感覚で運動を捉えることができないとコツの習得は困難です。
教えてしまえば創造性がなくなり、聞けば教えてくれる指示待ち人間を生み出します。
はみ出す
次に「はみ出す」とは逸脱するところにこそ、未知の体験があるということです。
運動スキルは与えられた運動ができるようになることではありません。それは前回例に出しましたスポーツ系幼稚園などの事例が示しています。
子どもは与えられことをやり続けると興味が失われ、刺激が減少します。人間の発達は刺激と刺激への適応によるものです。
親が目を離すと危ないことやとんでもない事をしようとするのは刺激を求めての行動です。しかし、我々大人は、お行儀がよくない、怪我をすると言って子どもの動き、要するに興味と刺激を制します。
はみ出すことは未知の体験にとってたいへん重要です。はみ出すところに運動スキルの体験があるのです。
したがって練習を事前に決めることや、デザインすることには意味がないのです。マイネル博士も環界との活発な交流が必要だと述べています。
デザインされたものや決められたことからはみ出して何かをしようとする時、思いがけない体験や運動課題が子どもに立ちはだかります。それを体感し、乗り越えるために自身の全知全能を使って克服する過程に運動スキルの習得があります。
完成させない
最後が「完成させない」です。運動スキルの習得は、運動スキルの習得や完成が目的ではありません。運動体験による感覚運動を積むことです。
したがって、そこには完成形がありません。
跳び箱を何段、きれいに跳べるようになる……
これは運動スキルが目的化しています。これでは跳び箱運動のトレーニングをしたことになってしまいます。
運動スキルは運動体験で感覚を磨くことですから、その過程は千差万別、そして個別的になります。さまざまな運動体験を積んだ結果として跳び箱が跳べるようになることが運動スキルのトレーニングです。さらに完成させないということは新たな刺激を間断なく与えることです。刺激が発達を促すのです。
ある運動(刺激)ができそうになったら、その運動や体験を止めて次の体験や刺激に移ります。刺激慣れは適応を鈍くします。常に新しく、新鮮な刺激にさらされることが重要です。
子どの集中は15分ほどが限界と言われており、子ども向けアニメの多くが10分ほどであるのはそのためと言われています。このように目まぐるしく変化する体験と刺激が必要なのです。
子どもの指導において最も重要なこと
成果を求めない
とかく親や指導者は成果を気にします。特にスクールなどに預けている保護者は自分の子どもがどれだけ成長したか、あるいは習熟度が上がったかを気にします。私どもの教室でも退会理由のひとつに「成果が見えなかった」や、ひどいものでは「コスパが合わない」などもあります。子どもの成長がまるで経済投資のように捉えられています……。
指導者は親の目を気にして、またチーム運営やスクールなどの経営を考え、何とか目に見える成果を出そうとやっきになります。そうなるとスポーツ系幼稚園のような教えられた運動はできるけど、教えられていないことはできないということにつながります。
また、子どもは成果を出すために運動をしているわけではありません。興味に従って刺激を求めて運動をするのです。言い換えると本能に従っているだけです、そこに成果はありません。
特定の年齢にこだわらない
そして次に習得最適期です。これは誕生した直後から始まり第二次性徴が始まるころ(思春期前ぐらい)までと考えられます。【スポーツ指導の常識「ゴールデンエイジ理論」を疑え】の中でも触れていますが特定の年齢が最適期ではありません。
赤ちゃんはお母さんのお腹から出てきた瞬間から重力との格闘を始めます。重力に抗うようにして自分の能力を向上させていきます。正に環界との活発な交流の中で運動を発達させていくのです。確かに運動学習、特に運動スキル習得の最適期は小学校年代であることは否定しません。しかし、中学生ぐらいでも可能であると考えています。
中学生ともなるとさまざまな経験則があるため直観的な運動学習に加えてデザインした方法論やヒントを与えることである程度習得できると思います。また、高校生であっても早熟傾向でない者や力任せの運動をしない者であれば習得可能です。
実際、私が担当するスクールやかつて競技トレーニングを指導した中高生選手でも身体操作性を向上させるフィジカルトレーニングによって運動スキルが高まった事例があります。ただし、個別性はありますが習得に費やす時間と習塾度合いは小学校年代との比較では効率性には劣ることがあります。
運動スキルを習得する機会を大人が奪っている
運動スキルの習得は、特別な環境、道具や方法などは必要ありません。運動スキルは生活や遊びの中で習得すべきものです。
しかし、残念ながら近年では公園など公共施設でのボール遊び禁止、勝利至上主義のジュニアユーススポーツ、偏った運動ばかり指導するスポーツスクール、スポーツ科学理論の間違った理解、また保護者による過保護や行き過ぎた期待感など、運動スキルを習得する機会が失われる環境や状況ばかりが子ども達の周りに溢れかえっています。
運動スキルを備えていなくとも社会生活に困ることはないでしょう。しかし、身体活動である運動は人間の本能的営みです。スポーツ界では「心技体」という言葉がしばしば言われます。これは精神と技(スキル)と身体は一体化しており、それぞれが欠けることなく充実することがスポーツや技の上達、人間性や社会性の形成には必要であるというような意味です。
保護者の方々はお子さんの健全な心身の成長を望むのであれば、運動スキル習得について案じるのではなく運動スキルを習得できる環境を与えることを考えてください。